白い鋼の色が、眼を射る






今日もアンネリーゼはナオジの雑務の手伝いに、彼のテントを訪れていた。
いつもと同じように少しだけ言葉を交わしながらの作業を終えると、
リーゼは挨拶をして自分の寝泊りするテントへ戻ろうとしていた。
「お疲れ様でした、リーゼ。
 貴女はもう休んでいいですよ」
「ナオジ様はまだお休みにならないのですか」
もう遅いですよ、と言いながら彼のタイプライターを打つ手は一向に止まりそうに無い。
「ええ、これは早く仕上げてしまいたいのです・・・」
そこまで言うと、ナオジはリーゼの顔を見て何かを言おうとして口をつぐんだ。
「なんでしょう」
リーゼは自然に尋ねていた。
自分から誰かとの会話を続けようと促すなど、今までの自分では考えられなかった。
ナオジはリーゼの顔をもう一度見ると、少し微笑んで言った。
「こんな事を言って、お気を悪くされると申し訳ないのですが・・・
 家族以外の女性に名前で呼ばれるのは、やはり違和感があるなぁと思いまして」
「ナオジ様の国では違ったのですか?」
「ええ、親しくない異性を下の名前で呼ぶことなどめったにありません。
 同性でも少ないでしょうね。
 女性同士は別なのかもしれませんが」
「では、えー、『イシヅキ様』と呼ばれていたのですか?」
「そうですね、でも学友に敬称は付けませんね。
 士官学校では『イシヅキ』と呼ばれていました」
懐かしむ様でもなく、ナオジは遠い目をして答えた。
何故こんなに寂しそうな顔をしているのに、どこか嬉しそうにも見えるんだろう。
私は普段は感じない戸惑いを覚える。





私は木製のライフルを抱えて、雨の振る中を灰色の軍服の背中を追いかけていた。
昨日タイプライターを打っていた指は、今はトリガーを引こうとしている。
困ったように私の名前を呼んだ声は、次の作戦を部下に言い渡す。
私もその部下の一人のはずなのに、全てが遠くで起きているような錯覚さえ起こしてしまう。
彼の手も私の手も、もう白くは無いのだと見せ付けられる気がした。
ナオジはルードヴィッヒの忠実な部下だし、私はそのルードヴィッヒが道具として選んだ軍隊の一つのパーツに過ぎない。
だからナオジと私の歩く道が重なった、たった一瞬が今この瞬間で、
明日にでも終わってしまう可能性は十分にある。
でもそれを悲しむ余裕など私達には残されていない。
それは嘆いても嘆いても変わらないことだ。
ナオジの後ろを歩く私のペースが少し落ちたのだろうか。
顔だけ振り向かせて、
「どうしたのですか、リーゼ」
と優しい顔で、でも厳しい声色で言った。
余計なことを考えている場合ではないのに。
「申し訳ありません!」
慌ててナオジとの距離を縮めると、
同じく少しだけ振り向いて私の様子を伺っているヴォルフラムが目に入って、
私はここで信頼を失うわけには行かないと更に焦った。
予定よりずっと近い場所から銃声が聞こえる。
「急ぎましょう」
ナオジはペースを上げて走り出し、ヴォルフラムもそれに続く。
私はナオジの背中を追いかけて走る、というシチュエーションに酔い始めていた。
決して二人きりで居るわけではないのに。
ヴォルフラムや他の兵士達も、共に行動しているというのに。
夜ナオジの手伝いをしている二人きりの時よりもずっと、
なんだかナオジしか見えなくなっていってしまう。
しかし、そんな自分に呆れて笑っている自分、冷静になれと警告している自分が居るのも確かで、
これは代えの利く兵士である自分だけではなくて、革命軍にとっても大切な作戦なのだ
余りにも当たり前すぎる忠告が頭の中に響いている。
「もう少しです。頑張ってくださいね」
黙って走り続ける私は、そんなに頼りなく、疲労しているように見えているのだろうか。
更に焦り、落ち込む気持ちを無理矢理押しとどめながら、
「大丈夫です・・・私のことはお気になさらずに・・・」
と息を切らせて返事をした。





もう一度銃声が響くと、急に走るのをやめたナオジの背中で、
彼の髪を束ねている白いリボンのようなものが大きく跳ねた。
私はぶつかる一歩手前で停止して、もう一つの銃声を聞く。
ナオジの手にあるライフルが火を噴く。
私も背に担いだ銃に手をまわし、素早く身体の前で構える。
銃を手にする意味など、今は知りたくないと、漠然と思う。
それはきっと、手放す日が来ることを心のどこかで知っているからだ。
ナオジに会うまでは、そんなことを考えることは無かったのに。
それでも私は、銃口を人間に向けている。








戻る