伏せられていた鋭い瞳が、ゆっくり開かれる




走りだして暫くすると、吸い込む空気の冷たさに胸が苦しくなった。
毎朝のことなのに、この痛みだけは無くならない。
流石に肺までは鍛えられないということか。
1週間前は、初めて戦場で迎えたクリスマスだった。
ルードヴィッヒがいる部隊だったので、それなりに、戦場にしては豪華に祝われた。
誰もが酔いつぶれない程度に酒を飲み、缶詰ではない肉を食べ、
陽気に言葉が交わされた。
この手のイベントが苦手な自分に今更失望もしなかったし、
仲間達の輪の中に入る必要も感じなかった。
一番大きなテントで部隊で最も地位の高い人間から低い兵士までが賑やかにしている風景には、自分も何処か心和む部分があった。
そしてそのテントの壁際で、皿を片手に一人でぼうっとしていると、
兵士に勧められる酒を真面目な顔で断っているナオジが目に入った。
自分よりもずっと格下の兵士に丁重に頭を下げながらも、
本当に困った様子が伝わってきて、なんだか微笑ましかった。
兵士も流石に諦め、別に酒を勧める上司を探し始めた。
上の人間に取り入ろうとする行為は、もしかしたら正しいのかもしれない。
もちろん、そんな事で贔屓をしたりする程浅はかな人たちではないのだけれど、
だからこそ、なんだか自然で羨ましい。
アンネリーゼは自分の足元に目を落とした。





「楽しんでいらっしゃいますか?」
突然上から声を掛けられて、慌てて顔を上げるとそこにはナオジが自分と同じように、
皿を片手に立っていた。
「い、いえ・・あの・・そのっ」
『楽しんでいるか』という問いには正直ノーなのだけれど、
今さっき考えていた内容からは肯定した方が良いわけで、
リーゼは慌ててろくな返事が出来なかった。
するとナオジは少し微笑んで、
「正直でよろしいですね」
と云い、リーゼは余計に恥ずかしくなった。
「私もこの様な場は苦手です。
 自分の立場から、逃げられないことは分かっているのですが」
「そうですか」
気の利いたフォローをすることも出来ず、曖昧に相槌を打つだけだった。
「そもそも、クリスマスという行事すら4回目でして」
「ナオジ様の故郷ではクリスマスは祝わないのですか?」
「えぇ。
クリスマスはキリスト教の行事ですからね。
 私の国は仏教と神道の国でしたから」
「はぁ・・」
目的もよく判らない行事・・・もとい宴会は想像以上に疲れることだろう。
ましてや彼自身から漂う真面目な雰囲気からは。
「不謹慎だと思われますか、戦場で宴会など」 素直に尋ねてみると、ナオジは苦笑した。
「いえ、皆さん楽しんでいるようですが、羽目は外していませんから」
「そうですね」
この行事に関して、ナオジが自分と同じ印象を抱いていることが何だか嬉しくて、
安心した。
「疲れたようでしたら、抜け出してお休みになっても大丈夫ですよ」
「お気遣いありがとうございます」
確かに、今ここを抜け出して、いつもより早く寝床につけるのはありがたいかもしれない。
「誰も貴女を責めませんよ。
では私はルーイの所に行くとしましょう。
 それでは、おやすみなさい」 当たり前のようにその台詞を言って、ナオジはテントの壁から離れていった。
リーゼは手に持ち続けていた皿を棚に片付けに、ナオジとは反対方向に歩き出した。





そして今日は今年最後の日。
年が変わっても、何かが大きく動き出すわけではない。
最も重要なのは、今自分は軍人で、この作戦に全てが委ねられているということだ。
速度を緩めながらキャンプに入って行くと、タイミングを合わせたように
ナオジがやってきて自分に声をかけた。
「おはようございます。
毎朝精がでますね」
言葉を交わすのは1週間ぶりだった。
突然ナオジを真っ直ぐ見れなくなった。
「ど、どうしてですか・・・」
「何がです?」
「どうして、毎朝だと、ご存知なのですか?」
言葉が途切れ途切れになってしまう。
今この瞬間のナオジの表情が見たいのに、でも顔が上げられない。
「それはですね。
私が素振りをするためにキャンプを抜ける時間と、
貴女が走りに行く時間が同じなのですよ」
偶然か。
少し感情が落ち着く。
勝手に自分の考えが暴れまわっていた。
これが妄想か。
「明日も、同じ時間に走りに行って下さいね」
「どうしてですか?」
アンネリーゼはやっと顔を上げた。
「貴女に一番最初に、新年の挨拶を言うためですよ」