凛、と伸ばされた背筋


「ふうん、この隊には女の子も居るんだ」
昨夜この地に移動してきたばかりである。アンネリーゼがヴォルフラムと共に雑務に追われていると、後ろからジークリード・カロッサの声がした。
「そのような発言は慎むべきです、ジークリード殿」
「おやおや、これはナオジ」
ジークリードはナオジに咎められた事をきにする素振りもなく、再びリーゼに話し掛けてくるのだった。
「ねぇ、君はルードヴィッヒ様の考えに100%納得しているの?」
それはリーゼが考えたものとは全く異なる問いだった。
「はい」
「本当に?」
「だから自分はこの地にいるのです」
「そう?でも彼が革命なんか起こさなければ君は軍人になんてならなくて済んだんじゃないの?」
「いいえ、自分はルードヴィッヒ様が革命を起こすずっと前から、ドイツ軍におります」
「ふうん」
ジークリードの目が更に鋭くなり、いぶかしむ様に言った。
「じゃあ君ははドイツの為なら何でも出来る?」
「ジークリード殿!」
見かねたナオジが声を上げるも、ジークリードは態度を変えなかった。
「僕は何か間違ったことを聞いた?それともナオジ、誰かを庇ってるの?」
この時初めてリーゼは困ったと思った。自分の上官であるヴォルフラムは困った顔をしており、ルードヴィッヒ様の片腕であるナオジも自分に絡んでくるジークリードに困っており、他の兵士達も遠巻きに様子を伺っている。誰かに咎められる様な行動や発言をした覚えは無いが、彼らの困惑の原因は明らかに自分とジークリードである。自分が敬うべき、実際に尊敬はしているのだが、人々が自分の為に困っている状況は許され難いとアンネリーゼは思った。
「自分は誰も庇ってなどいません」
ナオジはジークリードの目を見て言った。
「怪しいね。ルードヴィッヒ様がなさってることの危うさに本当は気づいているんだろう?
 だからここで僕が彼が正しいかどうか問われるのは困るんだ。違うかい?」
「仰る意味を理解しかねます」
ジークリードはふとリーゼの方に顔を向けた。
「ねぇ、君。さっきの僕の問いに答えてよ」
リーゼは彼の言う『君』が自分であると、すぐに気づいた。
「自分はドイツの為なら何でも出来るか、という問いですか?」
「そう」
「はい。ドイツがより素晴らしき国へと進む為でしたら」
ヴォルフラムは彼女のあまりに直線的な答えに、危ないと感じた。『堅い』と言われる自分にさえも、真面目に見える彼女は、必要以上に軍人であろうとしているように感じられた。軍人という職業は、確かに彼女の気質に適していると言えるだろう。だが、それ故に不安なのだ。どんな理由で志願兵になったのかは知らないが、実際の戦地でもストイックに軍人であれ、とするのは危険である。



彼女の問いに満足したのか諦めたのか、ジークリードは立ち去っていた。
思わず次の行動を取れずにいた残りの人々の中で、最初に声を上げたのはヴォルフラムだった。
「リーゼ、トラックに残っている物を他の者達と一緒にテントへ運んでください」
「分かりました」
リーゼはいつも通りの硬い表情で、返事をすると足早に去った。
「困ったものですね、ジークリード殿にも」
「えぇ」
ヴォルフラムは心からナオジに同意した。



キャンプの準備は早々に終わり、明日からは訓練も再開できそうだ。夕食後、リーゼは上官からナオジの書類整理の手伝いをするように言われていた。革命軍の一員となって間もない頃は、書類整理といった仕事をさせられるのは少々不服であった。他にも兵士は沢山居るのに、何故自分がいつも雑用を押し付けられるのか。それはヴォルフラムが肉体労働を他の兵士に任せ、細々とした事は自分にさせているのだということも彼女は知っていた。やはり自分が女性だからなのか、と腹を立てたこともある。だが彼のもとについて暫く経ち、彼は優しすぎるのだということに気づいた。ここが軍隊であろうと、自分が部下であろうと、彼は周りの人間に気を使わずにはいられないのだ。だからリーゼは書類整理も快く引き受けることにした。


「ただ今参りました。アンネリーゼです」
ナオジがテントのカーテンを開けると、背筋を伸ばし、暗闇を背に立つアンネリーゼがいた。濃紺の闇に彼女の白い肌と輝く髪がくっきりと映えていて、美しかった。ナオジが思わず黙っていると、彼女は少し躊躇いながら
「あの・・・時間を間違えたでしょうか」
と云った。
「いえいえ、入ってください。こんなことで貴女の手を煩わせてしまって、申し訳ありません。
そんなに時間は掛かりませんので」


ナオジの注文に無言で頷き、アンネリーゼはペンを走らせていた。凛、と伸ばされた背筋も、几帳面な文字も、それがまた彼女らしくて、なんだか微笑ましかった。 「今日はジークリード殿のことで嫌な思いをさせてしまいましたね。
 申し訳ありません」
すぐに謝る人だな、とアンネリーゼは思った。
「いえ、ナオジ様のせいではありません」
「このような軍隊において、あのような質問をなさるとは、正直自分はジークリード殿の考えていることが分かりません」
本当に困った様子で、ナオジはそう言った。
「ルーイに何か考えがあれば良いのですが。
 さぁアンネリーゼ殿、もう遅いので今日はこれくらいで結構ですよ」
「はい。では明日」
リーゼが書類を一つに束ね、立ち上がるとナオジが真面目な顔で言った。
「それでは。おやすみなさい」


あまりに戸惑ったものだから、リーぜは数秒間何も言えなかった。
そしてやっと出て来た言葉が
「し、失礼します」
というものだった。
何年ぶりだろう。他人に『おやすみなさい』などと言われたのは。
少なくとも、中等部を卒業して士官学校に入ってからは一度もない。
家に居た頃だって、そんなことはあっただろうか。
ナオジは当たり前の様な顔をして言った。
国の違いだろうか。
ナオジのテントから出て歩くと、想像した以上に凍えた。
リーゼの寝泊りをしているテントに着いた頃には、体は芯まで冷え切っていた。
ナオジの言葉は妙に生々しく、彼女に迫った。
人間らしく、という言葉は少し違う気がするけれども、
暖かく彼女を迎えたと同時に、彼女自身の冷えた部分を見せ付けた。
もちろんナオジはただ夜の挨拶をしたに過ぎないのだけれど。
迷いだした気持ちを追い出せるのではないかと、リーゼは顔を洗いに向かった。