美しい筈の月





5 再巡




「世界は異なれど、春は美しいものだね」
泰明の居る家へと向かう道を歩きながら、友雅が感じたことを口にすると、
詩紋は心底意外そうな顔をした。
あまりに包み隠さず表情に出すものだから、久しぶりに少年らしい幼さが詩紋の中に見えて、
友雅は嬉しくなった。
「私が何か変なことを言ったかな」
「その、そういうことは女の人にしか言わないのかと思っていたので」
「なるほど。確かに女性の方が喜んでくれるだろうね」
そんな風に見られていたのかな、私は。
納得しないこともないけれども。
「けれど、詩紋。
 春が美しい、という私の感情を君は理解できるだろう?」
「はい。それは判ります」
教えを請うような真面目な顔に変わった。
「言葉を喜ぶのではないよ。
 言葉によって繋がること、そしてその実感を喜ぶのだよ」
詩紋は黙って考えるような仕草をしたが、明らかに彼は理解していた。
「想う人を「独占」できるのもこの上ない喜びだが、
 「共有」というのも良いものだろう?」
まったく、私は詩紋を何に育てたいのだか。
けれど今は未だ、彼の背中は押せない。





詩紋の祖父の家の前につくと、詩紋は躊躇いがちに口にした。
「天真先輩は駄目だって言うんですけど、やっぱり・・・
 やっぱり友雅さんたちもあかねちゃんに会ってください」
彼がずっと悩んで出した願いだというのは、それだけで伝わってきた。
「私はもちろん構わないよ。イノリや鷹通の意見も聞こう。
 それにしても、天真には困ったものだね」
ああ、それから泰明も、と付け加えた。





友雅にイノリ、鷹通、それから詩紋による話し合いは、あかねに会おうということで
一致し、まずは天真を納得させようという話で終わった。
そこからが大変だったのだけれど。





「神子殿」
よく通る声で友雅は呼び止めた。
「なんですか?」
あかねは体後と振り向いて、視線を合わせようとした。
「神子殿が気に病むことはないのだよ」
「え?」
「誰かが神子殿に寄せる好意に、神子殿が気を使うことはない。
 応えようとすることも、申し訳なく想うことも必要ないのだよ」
「友雅さん」
「優しさは確かにあなたらしさだ。
 けれど、それで自分が誰かを想う事を禁じたり、諦めたりするのは違うよ」
何も言葉を返すことができず、視線を外すことも出来なかった。
目の前に居るのは友雅で、彼の言葉は自分に向けられているのだと
受け入れるのがやっとだった。
「わかるね?」
ゆっくりと、そして鮮やかに、念を押された。
見透かされていた私は、頷くことしか出来なかった。
「いい子だ」
今度こそ、本当に安心したように、友雅は微笑んだ。
心配されているんだか、助けられているのか、
プレッシャーを与えられているのか、分からなかった。
ただ、私への優しさは確かにそこにあって、堪らなく泣きたくなった。





天真の説得は久しぶりに骨の折れる作業だった、と、詩紋は思った。
ある意味自分にしかできない仕事と思えば、苦痛ではなかったけれど。
懇願したり、冷たく言い放ったり。
当たり前な言葉の駆け引きが、これでもか、と天真には有効だった。
そんなで、天真は八葉たちに再会し、その場にあかねを呼んだ。
あかねは冷静に、驚いたり、心配したり、気遣ったりしていた。





妙に、いや、正しい反応なのだけれど、一つ一つに大騒ぎをして、
友雅や鷹通と再会したり、彼らが生活する手伝いをする天真に対して、
詩紋は落ち着き払っている自分に違和感を覚えていた。
かいがいしく、楽しそうにイノリ達の世話をやく天真を見て、
彼の中で全てあかねに向いていた意識が少し発散されているようでほっとした。
天真はあまりにまっすぐに、全力で人に好意を向ける。
大好きで大切な女の子のあかね。
沢山の困難をともに乗り越えた八葉たち。
その彼らが困っているから、精一杯助ける。
大切な人たちを自分の懐に入れて、徹底的に力になろうとする。
それは間違いなく彼の良さなんだけれど。
傷ついた者には重過ぎる。
彼だって妹のことや、八様の務めや、何度も傷ついたのだろう。
でも、もう乗り越えられてしまったのだ。
あかねには、それが重荷になっているのだろう。
あかねは傷が癒える事など望んでいない。
むしろ拒んでいる。
この傷が癒えれば、自分はあの人のことをもう想っていないことになると、
想いが全て途絶えて初めて想い出になるんだと。
想い出という「かたち」を持ってしまうのだと。











続く